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Posted by TI-DA at

2005年05月24日

彼女たちの現実

今日は昼休みにゆっくりルシアと話をする時間があり、アルチに来ている子たちの事情を聞くことができた。まだ10歳の子は祖父に性的虐待を受け、ひどく傷ついた状態だという。母親がその祖父を告訴し、今は刑務所にいるが、当初祖母や母親のきょうだいは家族の恥になるからと告訴に対して否定的だったという。その子には今も心理カウンセラーがついているが、不安定な状態が続いている。それはふだん見ていても何となく感じていたことだったが、そんな目に遭っていたとは知らなかった。また叔父に4年間も虐待を受け、ずっとカウンセリングを受けている子もいる。いつも穏やかでニコニコしているあの子が…と信じられなかった。

路上に出ている子はたいてい家に問題がある。家族からの性的虐待がある場合、他の家族がそれをオープンにしたがらない。収入のない母親なら、稼いでくれるパートナーを失いたくないという気持ちで見て見ぬふりをする。子どもより夫を取るのだ。母親から売春を強制されていたという子もいる。よくある話では、母親に「何でもいいから稼いできなさい」と言われて外に出され、でも子どもを雇ってくれるところなどなく、結局売春に行き着くという。そして母親は子どもが何をして稼いだかについては聞かず、お金だけを受け取るという信じられないことが起きている。そんなの親じゃないだろうと思うけど、これが現実だ。アルチに通い始めて約1年、ようやくいろんなことがわかってきた気がする。
  


Posted by passarinho at 20:44Comments(0)

2005年05月18日

デモ行進と集会に参加



今日はDia Nacional de Combate ao Abuso e a Exploracao Sexual de Criancas e Adolescentes(青少年への性的虐待と搾取に対する国民的闘争の日)ということで、ベレン市内で行われたデモ行進と集会に参加してきた。8時半に川沿いの広場に集合。学校単位で参加している子たちも多く、先生らしき人に引率された少年少女たちがぞくぞくと集まっていた。エマウスからも30数人が参加し、9時半過ぎにデモ行進が出発。アルチの子たちも参加者に配られたメッセージ入りのTシャツを着て、前日作った横断幕や旗を掲げて、ベロペーゾ市場前の車道を歩いた。その後、デモ行進の終着点である裁判所前広場で集会が行われた。スピーカー付きの大型トラックの上に次々に人が上り、青少年に対する性的虐待に抗議するメッセージを述べ、アルチからも代表で2人の子が発言した。大きな集会だったのでテレビや新聞なども取材に来ていて、夜のニュースではベレンだけでなく各地の催しの様子が報道されていた。全国的にこうした活動が行なわれているのは意義深いことだと思ったが、それだけこの問題が深刻だということだろう。そしてこれはエマウスの子たちにとってはまさに自分の問題なのだということも改めて認識した1日だった。  


Posted by passarinho at 20:47Comments(0)

2005年05月17日

笑顔の裏に

1人の子が朝アルチに来るなり、中に座ろうとせず外にイスを持ち出し、静かにポロポロと涙を流し始めた。家庭のことで問題があったらしく、ルシアがずっと話を聞いていた。話を聞いてもらって少し落ち着いたみたいだったけれど、今日は活動に参加せず、家に帰っていった。笑顔のかわいらしいおとなしい子で、でもいつも何となく寂しそうな表情をしている子だった。とても小柄なので大きい悩みに押しつぶされそうになっているように見えた。

昼食後、たまたまナザレと2人になったとき、ある女の子の話を聞いた。その子がおばさんと暮らしていることは知ってたが、お母さんは入院中か何かだと思っていた。実際は数年前にお母さんは亡くなっていて、しかも夫(女の子の父親)に殺されたという。さらにその父親が子どもたちを虐待していたというのだ(父親は服役中)。ナザレはその子が大きな喪失感を抱えていることをとても心配していた。あまりのことに言葉がなかったが、アルチの子たちの大部分は虐待の犠牲者になっているとルシアが言っていたことを思い出した。頭では何となくわかっていたけど、やっぱりまだまだ表面的な部分しか見てなかったんだと思った。明るい笑顔の裏にみんな辛さを抱えている。
  


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2005年05月12日

ベトナムからのお客さん

今日はベトナムのユニセフからのお客さんがあった。総勢10人位の団体で、その中には1人日本人の女性もいてびっくり(ハノイ勤務だそう)。まず人形の部屋を見学。いつも大騒ぎの女の子たちが少し緊張気味でおとなしい。エマウスのような活動ではブラジルが世界でも進んでいるということで見学に来たのだと言っていた。同行してきた副大臣とかいう気さくな感じのおじさんはベトナム語の歌を披露してくれた。その後裁縫の作業なども見てもらい、最後に外で記念撮影。いただいたお土産は竹でできた民族楽器で、味のあるいい音を出していた。欧米からの訪問客はけっこうあるけれど、遠くアジアの国からというのはめずらしいとルシアが言っていた。

昼食後、エマウスからかなり離れたバス停を利用している子に声をかけられたので、一緒に歩いていくことにした。15歳の彼女は今自叙伝を書いているらしい。手書きの原稿を少し見せてくれて、これ本にできたらいいねなどという話をした。彼女は歴史が好きで、将来は裁判官か作家になりたいという夢がある。こんな風に1対1だとじっくりいろんな話ができるから楽しい。
  


Posted by passarinho at 19:23Comments(0)

2005年05月10日

奴隷解放の日

午後のクラスは5月13日の奴隷解放の日についての話だった。女の子たちもいちおう何の日かは知っているけれど教科書的な知識だけのようで、ルシアがその歴史について熱く語ってくれた。奴隷解放と言ってもただ自由にしていいよと言われて土地もお金も何もないままで放り出され、そのツケは今の社会にもずっと残っている、何とかプリンセスが解放令を出しましたとだけ学校では教えているだろうけれど、そんなに単純な話じゃないんだよって。

その後人種の話になった。モレーナとかチョコレートとか言ってるけど、実際の人種はインヂオ(先住民)、ネグロ(黒人)、ブランコ(白人)の3つなのだと説明し、自分がどの人種だと思うかそれぞれ言うことになった。みんな迷いながら、あるいは他の人に指摘されつつ、「私はたぶんインヂオとネグロの混血」、「私はネグロとブランコの混血だと思う」などと答えていて、すごく興味深かった。ほぼ全員が混血で、まさに人種のるつぼなんだと改めて感じた。

またルシアはこんな話もしてくれた。ブラジルではすごく人種が混ざっているけれど、世の中の美の基準を作ったのは白人で、髪が真っ直ぐで白い肌が美しいという価値観を押し付けてきた。昔は黒人の縮れた毛はおかしいものとされ、布で巻かれていたという…。女の子たちは熱心に話を聞いていた。実際エマウスに通ってきている子の中に白人の子はほとんどおらず、こうした問題も自分たちのこととしてとらえているように感じられた。
  


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2005年05月07日

Dia das Maes(母の日)

今日は午後から母の日の催し。3時開始の予定だったけど、なかなか人が集まらず、4時頃になってようやく始まった。参加人数は子どもの方が圧倒的に多くて、母親は20人弱くらい。開会の言葉の後、マリーザから母親の役割についての話があった。自分たちの母親や祖母の時代よりも、今母親であるというのは大変なことだと思う。みなさんも仕事を持ちながらの子育ては苦労も多いと思うけれど頑張ってほしい、という内容だった。子どもたちは飽きてしまってたけれど、お母さんたちは頷きながら熱心に聞いていた。エマウスの子たちの多くの家庭では父親がおらず、母親が1人で働きながら子どもを育てているのだ。

その後、みんなの前に出て何か話したい人を募ると、最初にあのいつも眉間に皺を寄せている男の子のお母さんが手を上げ、話し始めた。彼女は3人の子をエマウスに通わせている。今日も仕事が忙しくて、5時にはここを出なくてはならない。毎晩仕事の後、帰宅してから子どもといられる時間はすごく少ないけど、今日はこうしてこの子たちとずっと一緒にいられて嬉しい…という話だった。話し終わるとみんなからあたたかい拍手を受けていた。その後も何人か続き、子どもたちもマイクを持って前に立ち「お母さん、こっちに出てきて」と呼び、「愛してる」と言って抱きつき、プレゼントを渡していた。いろんなお母さんがいて、若くてイケイケ風の人もいれば銀髪でかなり年配の人もいる。子沢山のお母さんも多い。でもどの子も自分のお母さんのことが本当に好きなんだなぁということが見てとれてジーンときてしまった。

続いてまた遊びの時間。お母さんたちによるイス取りゲーム、風船ふくらましゲーム、風船割りゲームなどなど。張り切っているお母さんたちの姿が微笑ましかった。最後は1人ずつ自分の名を名乗って、音楽に合わせてモデル風に歩くというのをやった。これはすごい受けていた。みんなモデルになりきっていておかしかった。すべて終わって外のテーブルへ移動し、全員にケーキ1切れとジュースが配られ、「Paravens ♪(おめでとう)」の歌をお母さんたちに向けて合唱し、お開きになった。
  


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2005年05月06日

母の日のプレゼント作り

午後からアルチに行った。明日は母の日なので、女の子たちは布に絵を描いてプレゼントを作ることになっていた。お母さんの名前を漢字で書いてほしいと頼まれ、次々に書いてあげた。作業をしているうちにすごい大雨になってきたので、扉を締め切ると、今度は停電になった。この建物にはガラス戸などはなく、閉めると真っ暗になってしまうから、扉を開けて作業続行。もうみんな慣れているみたいで淡々としている。プレゼントがなかなか仕上がらず、結局6時頃までいた。目の前のドブ川はすでに水面がずいぶん上がっていて不気味な光景。帰りのバスでは、途中の道路の信号が故障してたり、大雨で水があふれてたりで大変だった。  


Posted by passarinho at 22:02Comments(0)